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  Michiko Miyagi  

宮城巳知子  ・  語り部

1926年(大正15年)4月12日沖縄県北谷村字屋良(現在の嘉手納町)に6人兄妹の末っ子として生まれる。 1945年(昭和20年)沖縄県立首里高等女学校4年在学中に看護要員、女子学徒隊(ずいせん学徒隊)として、日本国陸軍第32軍62師団(石部隊)に従軍。弾雨の中ナゲーラ陸軍野戦病院壕にて第41期生として卒業式を迎える。ずいせん学徒隊全61名中33名が戦死する中、九死に一生を得る。 敗戦後、沖縄文教学校(現琉球大学)卒業。小学校教諭として永年教育に携わり、退職後第二次世界大戦沖縄戦の「語り部」として反戦平和教育に精力を注ぐ。

1999年(平成11年)NHK沖縄「沖縄/映像の20世紀」で平和活動が特集される。 2001年(平成13年)文部科学省刊「21世紀の生涯学習入門」で詳しく活動が紹介される。 2010年(平成22年)300回の講演後に語り部を引退する。

「再び沖縄を戦場にしない、沖縄から戦場に向かわせない」 私は生き残った者の使命として、「世界平和を力のバランスによらない方法で勝ち取る」努力をすべきだと思っています。そのためにいま私にできることは、将来をになう子供たちに戦争の恐ろしさ、空しさを伝え残すことだと信じています。それがこの国のために若い命を散らした学友や将兵に、また戦争を知らない現代っ子たちのためにも、意義あることだと考えるのです。

著書:「ずいせん学徒の沖縄戦」最前線へ送られた女学生の手記 ニライ社発行

 

 
         
  Yui Kakazu  

嘉数ゆい  ・ イメージ映像の少女 役

撮影当時は沖縄の高校生。映画初挑戦にも拘らず、防空頭巾にもんぺと地下足袋という出で立ちで芋畑をほふく前進したり、暗くじめじめした壕の階段を昇り降りしたり、砂糖キビの葉で切り傷を作りながらも、砲弾の中を逃げ惑う17才の少女を演じ切ってくれました。

 

 
         
  Aya Nanbu  

南部安耶 ・ 慰霊の舞を踊る女性 役

沖縄で撮影の手助けをしてくれた知人の紹介で出会ったダンサー。慰霊の舞の意味を説明して、舞いを創作して貰いました。説明から本番迄、ほんの僅かな時間しかなかったにも拘らず、慰霊の意味を良く理解してくれ素晴らしい舞を披露してくれました。今も各地で舞い続けています。

 
         
  Jogakusei  

沖縄県立豊見城高等学校生徒 ・ 元気な女学生たち 役

沖縄フィルムオフィスを通じて、沖縄の高等学校で出演協力してくれる学校を探しました。なかなか見つからない中、時間がどんどんと流れていきました。時間切れぎりぎりのところで出演協力要請を快諾してくれた学校が沖縄県立豊見城高等学校でした。バレーボール部など体育会の生徒たちが、エネルギーに満ちた女学生を演じてくれました。

 
         
   
         


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